寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

通り


通りを人が普通に歩いているのを見ると、町だなあと感じるようになりました。当たり前のことを言っているようですが、田舎では人は歩いて移動しないものです。それを思い出しただけでも、得るものがあったと言えるでしょう。

もちろん人混みは嫌いです。そういう意味で、人間が好きなわけではありません。しかし、ある程度人間を集めないことには、ニッチなものが立ち行かないことは身にしみてわかっています。現代文明は町にあります。田舎では生まれません。

書き忘れていましたが、日記の名前を「寺町」に変更しました。4 拍の地名を適当に選んだだけで、深い意味はありません。ただ一つ考慮したのは、地名の粒度を下げようということでした。一般に物事を観測したとき、どの粒度で汎化すべきかは難しい問題です。対象をよく知らない場合には過剰汎化の危険性が高まります。日記の名前の粒度がその危険性の度合いを示すようにすれば面白いと思ったわけです。

写真は兵庫県石生駅近くの分水界 (2016年3月20日撮影)。「日本一低い」は不正確です。本州でかつ両端部を除いたとき一番低い場所です。

しんでしまうとは なさけない


4 月 1 日付けで助教になりました。特定助教から特定が取れたということです。外から見ると何が起きているのかさっぱりわからないでしょうし、私自身の理解が正確かも怪しいものです。と予防線を張りつつ解説すると、大学の運営費交付金削減が削減され続けたおかげで、正規のポストがまともに維持できない一方で、人が足りずに運営が立ち行かないという状態が背景にあります。そこで、学内の別の時限付き予算を使って次に助教にする人を雇い、ポストが空き次第滑りこませるという運用をしばらく前から行っているようです。まさに上に政策あれば下に対策ありです。人事が二度手間になって生産性低下に貢献していそうです。これが文科省財務省が望んでいたことなのでしょうか。というわけで、実質的には何も変化がありません。今度ともよろしくお願いします。

身分に変化があったので、これはピエリ守山詣でを行うべきであることを今日になってふと思い出しました。とはいえ守山は遠く、一方で異動というにはしょぼすぎます。そこで、代わりにパワーセンター大津を訪ねることにしました。某氏の要望に3ヶ月後にこたえたことになります。

すると、何ということでしょう、入り口が立ち入り禁止のカラーコーンでふさがれているではないですか (写真は 2016 年 4 月 3 日撮影)。店の外側には何の案内もありません。急遽ネットを確認しましたが、公式情報が見当たりません。公式サイトはトップページ が 403 Forbidden ですが、他のページは生きています。非公式情報によると、3 月 31 日で閉鎖されたようです。来るのが 3 日遅かったことになります。

店内には人影が見られません。しかしなぜか電気はついています。明るい廃墟といえばそうかもしれませんが、中に入れないのでは面白くありません。ピエリ守山の偉大さを再確認した一日でした。

降らない日々


さて、この日記は今後どうしましょうか。慣れ親しんだ京都です。いまさら書くこともありません。京都が (住んでいる人はともかく) 良い場所であることは、皆が知っていることです。京大が良い大学であることも説明するまでもありません。

困ったときは天気の話をしましょう。大学から少し離れたところに住んで、自転車で通勤していると、敵は雨です。その雨がほとんど降りません。今のところ、レインコートを着る羽目になったのは 1 日だけです。晴れの日が多めです。風も穏やかです。

おまけに暖冬です。もちろん先週の寒波は京都にも及んで、最低気温が -4.1 度まで下がりましたが、すぐに元に戻りました。

東京よりも乾燥しているという意見を聞きましたが、私にはわかりません。

思い返すと、福岡の冬は、しょっちゅう雨が降っていました。それ以外の日もどんよりと曇っていて、激しい向かい風に吹きつけられていました。福岡に行くまでは、京都の冬は単に神戸よりも寒くて厳しいという認識でした。まさか京都の冬を褒めることになろうとは想像もしていませんでした。

写真は実家で見つけた自由帳 (2015 年 11 月 8 日撮影)。神戸市民の証です。

京都ふたたび


1 月 1 日付けで古巣の京大に戻りました。職名は「特定助教」ですが、財源は大学内の謎プロジェクトです。科研費等に応募可能だったり、辞令に「工学部兼担」と書いてあったりします。昨今の大学はお金のやりくりが大変でございます。

報告が遅くなってしまいました。退職エントリを書こうかとも思いました。薄気味悪い東亜飯店の画像を載せて。伝統は大事です。でも、よく考えたら、いや、よく考えなくても、私はエンジニアではありません。

代わりと言ってはなんですが、前回の異動時にならって、ピエリ守山を推していきたいと思います。ということで、早速行ってきました、ピエリ守山 (写真は 2016 年 1 月 10 日撮影)。少し怪我をして 1 月ほどおとなしくしていたので、ピエリ守山が久しぶりの遠出になります。2014 年 12 月にリニューアルしたそうですが、約 1 年経った現在はどうなっているのでしょうか?

すると、何ということでしょう。あのピエリ守山が家族連れであふれているではありませんか。屋上の駐車場まで使われるほどの混雑です。店舗も優に 8 割は埋まっています。滋賀県が誇る一大観光資源が、その価値を消失していることに戸惑いを隠せません。

しかし不思議です。明るい廃墟時代と条件が変わったようには見えません。例えば、湖西の住民が、わざわざ普通車で往復 400 円の琵琶湖大橋を渡って訪ねる価値があるのでしょうか? 守山市街の住民が、ほぼ等距離のイオンモール草津よりも優先する理由があるのでしょうか? ピエリ守山の今後から目が離せません。

ということで、ピエリ守山ともども、今後ともよろしくお願いします。

2015年


今日で 2015 年もおしまいです。2014 年を振り返るだけで終わるものあれなので、2015 年についても何か書いてみます。

SEALDs という集団がメディアに登場していたのを思い出しました。調べたら、設立されたのが今年だったので、問題なく今年の話題です。2014 年の話題として挙げたものと違って国内問題です。しかし、直接観測できる範囲では何も起きていないという点で、シリアの問題と変わりありません。

SEALDs に関する最大の謎は、どうしてあれほど愚かなのかです。団塊老人に良いように踊らされているようにしか見えません。彼らは物事の優先順位をどのように判断しているのでしょうか? あるいは自分の頭では考えていないのでしょうか? 自分たちを支援しているかのように振舞っている亡霊たちと、実際のところ利害が対立しているとは思わないのでしょうか?

写真は松江市江島 (2015 年 5 月 5 日撮影)。境港から橋を渡ったところです。ロシア語の看板が日本海側っぽさを醸し出しています。