修行僧のような生活
年をとると、自分が何気なく放った言葉を若い人が深刻に捉える場面が増えてくるので発言に気をつけたほうが良いという忠告を何度か受けたことがあります。大事かはともかくとして、私が以前言ったと学生さんに指摘されたけど、私自身はまったく記憶にないという事態に遭遇することが体感的に増えています。もともとエピソード記憶の記憶力が人より劣るのではないかと疑ってきたのですが、記憶力自体の経年変化はそれほど大きくなさそうです。たぶん。今日書いておきたかったのはそれだけです。具体例でも添えておこうかと思ったのですが、そんな感じなので詳細が何一つ思い出せません。代わりに、他人の発言で、自分が言われて印象に残っているものを載せておくことにします。それが表題です。
発言者の認知では、自分たちは修行僧のような生活をしているそうです。「自分たち」の範囲ははっきりしませんが、国立大学の教員、典型的には工学系でしょうか。中高の同級生が医者だらけという境遇で中年に突入するとそういう認知が形成されるようです。発言の主でそれなら、私の生活は一体何なのかとあっけにとられたわけです。
経済的成功ははなから期待していなかったのですが、社会階層の上昇とも無縁です。なんとなくそれが当たり前のように思っていましたが、帝大時代の伝説を聞くと、昔はそうではなかったはずです。ここに至るまでの経過がどんな風だったのか少し気になっています。
写真はニュージーランド・パーマストンノース (2020年2月2日撮影)。住宅地のなかの図書館の返却ポスト。新型コロナ騒ぎが本格化する前の最後の海外出張。