寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません


いま住んでいる場所は、騒音の面で微妙です。前に住んでいた京都の家のまわりは昼夜を問わず静かだったので、余計にそう思うのかもしれません。いざとなれば簡単に逃げ出せるのが賃貸の良いところです。とはいえ、引っ越すほどではありません。

夜中の 1 時を過ぎてから外で騒ぐ連中がたまに出没します。シベリア送りにしたいところです。朝は朝で 7 時くらいから工事が始まります。

特筆すべきは、いわゆる珍走団が出現することがあることです。古俗は縁辺部に残ると言いますが、21 世紀になって 10 年以上経っても観測できる (目で見たわけではありませんが) とは思ってもいませんでした。

写真は八代駅 (2015 年 3 月 28 日撮影)。駅の裏に製紙工場があって妙な圧迫感があります。

九州で2年暮らして


何が起きたかというと、中国が意外と良いことに気づきました。

中国地方が出てくるのは、福岡と実家のある神戸の間に位置するからです。往復に最初は山陽新幹線を使っていましたがすぐに飽きました。トンネルだらけですし。これは以前にも書きました。

そこで、18切符を使って寄り道することにしました。画像は乗り潰した JR 路線です。乗りつぶしオンラインで生成しました。あくまで帰省のついでなので、採れる経路は限られています。備後落合・新見間のように朝晩しか運行していない区間には行っていません。追記: いま確認すると朝昼晩の3便でした。

資源分配問題


ふと思い出したことを忘れないうちに書き残しておきます。

世の中にあふれる情報が、自分の時間、気力の限界と比較して多すぎることは人生の早い段階から明らかでした。人生は短く、やりたいことですら、優先順位をつけて選択肢なければなりません。ましてやどうでも良い情報に時間や気力を割くのは無駄です。ですので、ある種の情報が自分に関係のないと判断すると、それ以降はその情報はまるごと遮断して生きてきました。フィルタリングに失敗して、必要な情報を逃していることも結構あるのではないかと推測します。それにあとで気付くこともたまにあります。

それは2013 年の年の暮れのことでした。その年の 9 月にオリンピックの東京開催で決まりました。もちろん、オリンピック関連情報は自動的にフィルタリング対象になりました。スポーツで、かつ東京です。自分に関係することは何もないように思えました。自分にとってどうでも良いことに自分の払った税金の一部が使われるという点を除いては。そうしてオリンピック関連情報を自然と遮断しながら数ヶ月過ごしてきました。ところが、とある企業研究者が飲み会の席で言うわけです。オリンピックがあるから、しばらく機械翻訳特需が続くと。オリンピックと機械翻訳を結びつける言説は今でこそ業界内で頻繁に耳にしますが、私が聞いたのはこれが最初でした。自分にその発想が微塵もなかったことに危機感を覚えました。

写真は今津の元寇防塁跡 (2014 年 8 月 30 日撮影)。埋まっています。

記憶と性格


アスペルガーとADHDの時間感覚の違い―過去と現在と未来という本の紹介記事が面白かったのでメモっておきます。精神疾患を時間感覚の観点から分類しています。例えば、内因性うつ病は過去に、統合失調症は未来にとらわれており、広汎性発達障害は過去、未来、現在のいずれにもとらわれていないといった具合です。この分析が妥当かどうかは知りません。ただ、記憶と性格が関係する可能性の指摘は私にとって新規性がありました。

前にも書きましたが、過去の体験を覚えておくのが苦手です。記事には「学生時代の出席番号や生徒数まで覚えている人」が知り合いにいるとあります。私などは担任の名前すら怪しいです。この性質が現在の私の性格に関係する可能性がある (因果関係はわからないけど) ことは、考えてみればもっともです。どうして今まで気づかずにいたのでしょうか。

写真はムンバイとプネの間にあるカルラ石窟の石柱 (2012 年 12 月 12 日撮影)。彫ってあるのはブラフミ文字だと思いますが、私の知識では微妙に読めません。

NLP2015


京大吉田キャンパスで開催された NLP2015 についてのメモ。例によって箇条書きです。

写真は嵐電御室仁和寺駅 (2009 年 2 月 11 日撮影)。京都に住んでいる間は結局嵐電に乗らずじまいでした。自転車でどこまでも行けるので。