寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

電子ペーパー



最近ソニーの電子ペーパー DPT-RP1を買いました。これが結構使えるという話をします。

昨年度の同じ時期に同種の DPT-S1 を買おうとしたら生産中止で断念しました。今年度後期になって、同じ演習を担当している同僚におすすめされました。それで思い出して、後継機を買うことにしました。

買って早々実戦投入しました。職業柄、学生の作文に赤を入れまくることになります。今年は卒論、修論をほとんど印刷せず、電子ペーパーで作業が完結しました。書きやすさは普通のペンと遜色ない出来です。なお、赤ペンではなく、青字です。もしかしたら設定で変えられるのかもしれませんが。

何が一番助かるかというと、管理できることです。赤ペンを入れた論文を学生に渡すとそれっきりです。手元に残っていても、印刷された紙を私は管理できません。ふと思い出して探しても二度と見つかりません。スキャンして保存するのはあまりにも面倒くさくてやる気が起きません。

電子ペーパーだと wifi で母艦に簡単に複製できて、そこから先は複製し放題です。適当なディレクトリにファイルを放り込んでおけば、あとは検索で何とかなります。

普通の論文を読むのも電子ペーパーに移行しようかと思うのですが、こちらの進捗は半分程度です。論文はぼっち飯しながら読んでいることが多いからです。この高いおもちゃを汚れのつきそうな場所に持っていくのは気が引けます。

あと、本体側面にくぼみがあって、磁石でペンを固定できるようになっていますが、簡単に外れます。ペンをなくしそうで少し心配です。

部族主義


米国の状況を指して部族主義 (tribalism) と形容するのを目にします。これが気に入らないという話をします。

tribalism は、社会の一部しか覆わない小集団に帰属意識を持つというような否定的な意味合いで使われています。まず不思議なのは、なぜ「部族」なのかです。日本で似た意味の言葉を探すと「村社会」でしょう。村は私にとってははじめから失われていたものですが、ともかく自分たちの社会の内側に村が存在するという意識があります。それに対して、部族は他者として明確に切断されています。悪いものは本来的に自分たちの外側にあると言いたげです。

tribalism が用語として不適当な理由は他にもあります。米国で「部族」同士が延々と争っているのと同じような状態が本来の部族にもあてはまるのでしょうか? 部族といっても色々ありますが、狩猟採集民の部族 (バンドとよぶほうが適切かもしれません) などは人口もなかなか増えませんし、互いに争うよりも棲み分けるのではないかと推測します。部族とはよばないと思いますが、インドのジャーティも一種の棲み分けです。米国の状態を指すのであれば、相手を打ち負かすまで争い続けるという側面をくみとる必要を感じます。

そこで、tribalism に代わる用語として Americanism を提唱します。Americanism も既にいろんな意味で使われていて収拾がつかない気もしますが、他でもない米国に本来的に備わっている性格であることを明示できます。

写真は城端駅近所のスーパー。2017年12月30日撮影。

垂れ流し芸


現実逃避です。ネタ切れのこの日記の再利用を考えてみます。自由に使える時間がどんどん減っていくなかで、この先どうやって生きていくかを考えています。一つ考えているのが、文章生成の高速化です。真面目な文章を真面目に推敲するのは良いのですが、それ以外の文章は前から順番に生成していって最後まで生成したらそれで終わり、という書き方を確立したいのです。ちょうどしゃべるようにです。頭の中を整理するために書き出すというやり方をいままで採ってきましたが、限界を感じています。でもあいかわらず話すのは苦手です。折衷案として、話すように書きつつ、伝えるべきことを効率的に直列化する訓練をするというのが今回の趣旨です。

写真は岡山コンベンションセンター入り口 (2017年7月30日撮影)。NLP2018 の会場。

冷夏?


「今年の日本は冷夏」という悪い冗談を聞きました。先週東京に出張した際にはそんな感じはしなかったのですが。Google Trends で「冷夏」を調べると、東日本でそう言われているのが確認できます (画像は本日のスクリーンショット)。interest が宮城県の 100 に対して、東京が 42、京都が 20 です。地図の色分けは微妙ですが、数値で見ると東西の対立がわりときれいに出ています。ただし、秋田県が上位 30 都道府県に入っていません。太平洋側の現象でした。関西にいると、東北の出来事は外国のことのように遠く感じます。そして、影響が東京に及んだときに限って、東京のメディアがまるで日本全体の出来事のように扱うのを観測できたりします。

有線通信工学講座


坂井利之先生が今月亡くなったという知らせがありました。私は一応。坂井先生からすると曾孫弟子ということになるはずです。それ自体は別に驚くことではありません。国内の情報系の主要研究者の何割が私と同様の立場にあるのかわからないほどです。お会いしたことはありません。私が小さい頃に退官されていましたし。略歴を見ると、研究的には何もかもが未分化で混沌としています。今後どれほど人工知能が流行ろうとも、ここまで分化して発展するとは想像しにくいです。

研究の中味だけでなく、組織のうえでも、坂井先生のひいた路線の延長にいることをときどき思い知らされます。話によると、坂井先生が情報工学科を作った際、何かの事情で長尾先生を電気系に残していったそうです。いま書かれたものを確認してもそのようです。特に衝撃を受けたのは、電気系の学部の会議で、確か4回生の配属に関する議題だったと思うのですが、松山研究室と黒橋研究室が「旧有線通信工学講座」というくくりで登場したことです。私が生まれるはるか前に作られた体制が、多少の変更はありつつもいまでも残っています。なかば呪いのようです。日本の情報学が歴史的に電気系から派生したことは否定しようもありませんが、大学内の情報系の組織では意識的に「工学」の文字を削ってきたということを断片的に何度か聞いてきました。それを電子系の組織内で行うのはとても難しいようです。

写真はJR藤森桃山駅間 (2017年8月26日撮影)。複線化の工事がはじまっていました。