寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

どこにでもあってどこにもない


私は情報学研究科という組織に所属していて、情報学という分野の一部をやっていることになっています。この情報学の位置づけについては、学部生の頃からいまにいたるまで、いろんな人から大きく 2 通りの説明を聞いてきました。1 つは、すべての学問分野において情報学が不可欠になり、情報学自体いずれ消滅するというものです。もう一つは、情報学は旧来の文系・理系とも違う第 3 の道だというものです。そんなことはどうでもよいと昔は思っていたのですが、そうも言っていられないことを最近は認識しはじめたという話をします。

この 2 つの説明は一見対立しているかのようですが、時間軸を導入すれば矛盾しません。数理モデルを使って定式化する、計算機を使って問題を解く、それらを通じて定量性と検証可能性を確保するといったことは、いまだにそれが行われていない分野にも不可逆的に広がると思っています。問題はそれを実現する過程です。既存の分野に新たな方法を導入し、それを普及させるためには、どうするのが効率的かです。

反対にどんな問題があるかというと、数式への敵意に満ちた人々 (文系に限らず、例えば生物学にもいるそうです) への対応に限られた研究資源を浪費するといったことが現実に起こりえます。彼らは査読者として既得権を行使しうる立場にあります。既存分野のものとは別の発表媒体 (雑誌や国際会議) が作られる事例をよく目にしますが、妨害に対する有効な対抗手段という側面があるようです。

同じことは研究組織についても当てはまります。既存分野の組織に入った場合、データ分析屋さんとして従属的な地位に留め置かれてキャリア的に詰む危険があります。人事権も既得権です。この危険性は、以前はぼんやりとしか見えていなかったのですが、最近は現実のものとして眼の前に立ち現れてきました。既存のとは別の組織は身の安全を確保するために不可欠なようです。

写真は鴨川 (2018 年 7 月 6 日撮影)。大雨の日に信号待ちの新幹線から。