寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

部族主義


米国の状況を指して部族主義 (tribalism) と形容するのを目にします。これが気に入らないという話をします。

tribalism は、社会の一部しか覆わない小集団に帰属意識を持つというような否定的な意味合いで使われています。まず不思議なのは、なぜ「部族」なのかです。日本で似た意味の言葉を探すと「村社会」でしょう。村は私にとってははじめから失われていたものですが、ともかく自分たちの社会の内側に村が存在するという意識があります。それに対して、部族は他者として明確に切断されています。悪いものは本来的に自分たちの外側にあると言いたげです。

tribalism が用語として不適当な理由は他にもあります。米国で「部族」同士が延々と争っているのと同じような状態が本来の部族にもあてはまるのでしょうか? 部族といっても色々ありますが、狩猟採集民の部族 (バンドとよぶほうが適切かもしれません) などは人口もなかなか増えませんし、互いに争うよりも棲み分けるのではないかと推測します。部族とはよばないと思いますが、インドのジャーティも一種の棲み分けです。米国の状態を指すのであれば、相手を打ち負かすまで争い続けるという側面をくみとる必要を感じます。

そこで、tribalism に代わる用語として Americanism を提唱します。Americanism も既にいろんな意味で使われていて収拾がつかない気もしますが、他でもない米国に本来的に備わっている性格であることを明示できます。

写真は城端駅近所のスーパー。2017年12月30日撮影。