寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

対人関係処理の外部化


ネタです。私も現代人の一人として、記憶の外部化を行ってきました。もはや無文字社会がどんなものだったか想像もつきません。予定の管理も計算機に任せっきりです。PC を開いていないと、その日自分が何をすることになっているのか、何もわかりません。普段は家か研究室で引きこもっているからいいのですが、たまに学会に行って PC を閉じたままにしていると事故を起こしてしまいます。

さて、このまま技術が進展するとして、この先何が起きるかを考えるわけです。そこで思い至ったのが対人関係処理の外部化です。すでに gmail が Smart Reply というメール返信の推薦を導入していますが、あれを発展させた先には何があるのでしょうか?

昔、松浦先生の『清の太祖ヌルハチ』を読んでいて、ヌルハチが毎日部屋にこもって延々と人事を考えていたというような挿話を見つけたときには、王様なんぞになるものではないなと思ったことを覚えています。しかし、よく考えると、人間は誰しもが、多かれ少なかれ群れの構成員の状態を頭の中で継続的に管理しています。人間に限らず、チンパンジーやその他の群れを作る霊長類 (霊長類に限らないかもしれませんが) も同じように、他者の状態管理を行っているようです。おそらく人間の機能の深いところに組み込まれているはずです。

しかし、昔からそうだったから今後もそのままとは限らないことは、無文字社会から移行という事例が教えてくれます。実際に、対人関係処理の自動化に対する潜在的な需要はのびていると思います。それを示す一例は、「人権意識のアップデート」という、最近見かけた気持ち悪い文言です。他人への配慮を増やすということは、他人の状態を管理するコストが増えるということであり、その背景には対人行動の選択を誤ることのリスクの増大があります。計算機に相手の状態管理を支援してもらわないと危なくてやっていられないという状態がまず到来し、そのうち支援の範囲を超えて全自動化するのではないかと妄想しています。

写真は菊水山駅跡 (2018 年 4 月 7 日撮影)。正式に廃止されたあと。