寺町計算言語

計算の話や言語の話もするかも。多少は。※個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません

九州という虚構


某巨大学会には九州支部というものが存在します。会員は住所によって機械的に支部に割り振られるようです。同じように関西支部も存在するのですが、以前はほとんど意識することはありませんでした。他の支部などなおさらです。九州では観測範囲で目にする機会が増えました。代わりに関西支部が視界からきれいに消えました。九州では支部活動にかなりの人的資源が投下されているようです。

しかし、ふと思うわけです。九州というものは本当に存在するのだろうかと。島が物理的に実在するのはわかります。ただ、社会的なまとまりとしては、惰性で続いているだけであり、ひとたび人々がその存在を疑うように仕向ければ、案外あっけなく崩壊しそうな気がします。

そう思う理由は時間距離です。福岡 (博多) から見ると、熊本は 30 分、鹿児島は 1 時間 20 分です。いずれも新幹線で。距離的に近そうな長崎は 2 時間です。大分も 2 時間です。いずれも在来線の特急で。宮崎となると、どうやって行くのが正解かもわかりません。新八代でバスに乗り換える場合 3 時間 10 分かかるそうです。沖縄は飛行機がないと行けません。もっとも、「沖縄」で支部のメールを検索してもヒットしないぐらいなので、存在感がありません。

2 時間というのが微妙な所要時間です。1 時間 10 分で広島に、1 時間 45 分で岡山に、2 時間 20 分で新神戸に着きます。飛行機に乗り始めると時空が歪むので、東京に行くのと感覚的に変わりません。福岡から見えれば、物理的に同じ島にあるというだけで、長崎や大分を広島や岡山より優先するのは合理的選択ではなさそうです。

おそらく、九州という虚構が維持できるかは、福岡からその他の地方がどう見えるかではなく、反対にその他の地方から福岡がどう見えるかにかかっているのでしょう。宮崎は福岡の方を向いているのでしょうか。福岡の方を向くのが合理的選択なのでしょうか。

あと、熊本が九州の中心になっていれば、事情が違ったかもしれません。福岡は北に偏りすぎです。熊本には鎮台があったわけですし、可能性は充分にあったと思うのですが。

写真はカシュガル (2009 年 5 月 4 日撮影)。